誰のための医療なのか

「放蕩息子の好き放題を止めさせなければ、孫世代へ先送りする借金は親の代で返せず、今の子どもたちが将来あたりまえの暮らしを続けることは保証できないだろう。」現在の医療制度の疲弊について、昨年暮れ末田の所見を一般家庭におきかえてわかりやすく書きました。お正月休みの酔いにまかせ、たのしい理想の未来から逆算し、現在の問題を赤裸々に書いてみようと思います。

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今日も読んでくださって、ありがとうございます。
岡山にある津山の薬局薬剤師、そして世界文化研究家、末田よしひろです。

医療経済の問題を議論する時、理論で末田を論破するために使われるツールとして「防衛費との比較」が使われることがあります。防衛費を削れば医療費なんてすぐに捻出できる、厚労省の族議員たちはこう国民に説明するわけです。これに関しては、全くもって問題のすり替えでしかなく話にならないと考えます。日本の国益を守るためには、国土の安全安心の確保が何より第一優先。安全保障をかつての敵国に任せているようでは、社会保障もへったくれもあったものではないと思うのです。その上、国民皆保険がこの先存続するという前提の社会保険制度というものは、資本主義の中の「危うい社会主義のしくみ」を盲目に信仰しているともいえます。防衛費に関わるものつくりを正しい経済(私的には人殺し技術の発展は大嫌いです)とするなら、保険という名の税金を使う医療費すなわち人件費は「逆向き経済」の発展と呼ぶべきものだと思います。具体的には医者や薬剤師、そして看護師の報酬額(その人数と給与)が多くそして高くなればなるほど、社会はどんどん疲弊していくものだからです。

僕がなぜ、医療従事者の行動を「放蕩息子の好き放題」というのか、根拠をもって説明しましょう。その根拠は「老健(介護老人保健施設)」と「特養(特別養護老人ホーム)」の薬物療法の違いにあります。去年から活動を開始した「日本老年薬学会」でも話題にされ、今後はガラス張りにチェックされる制度上の問題です。「介護保険を使う薬物療法」と「医療保険を使う薬物療法」に大きな違いが出ているという現実。介護保険だと医師自身の財布がいたむので「薬をなるべく使わない上、すべてをジェネリックにする」けれど、医療保険だと懐が痛まずみんなの税金(医療保険)を使うので「使ってみたい新薬を好き放題処方する」という違いです。その上チェックマンたる議会の役割を果たすべき保険薬剤師も、馴れ合いの構図から抜け出せずほぼ機能していません。

市の一般会計の歳入と歳出の矛盾を見れば、同じ様な「縦割り体質」の機能不全を実感できるかもしれません。

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市民だよりのこの円グラフから見えてくる「当事者意識の欠如」とは何なのでしょう。一家の大黒柱であるお父さんの収入は生活費の3分の1。半分は年老いた親からの仕送りで、お父さんの稼いできた半分は借金返済にまわしています。

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これが津山市平成27年度決算の現実です。市の職員や市民の家計簿がこうなっていたとしたら、その家はとっくに破綻しています。これと同じ現象が、国の医療行政でも普通に議会を通過しているのです。

子どもたちが安心し、希望をもって迎えられる未来はこの先あるでしょうか。現在の老人と現役世代の怠惰とマンネリ、すべての問題先送りの無計画な状況。

さて、あなたはどう感じるでしょう。

どんな難題にも必ず解決策はあります。そして末田には解決の糸口が見えています。

この続きは、また明日。

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