血圧の基準

建設省の建築評価基準が厳しくなること。

厚労省の疾病評価基準が厳しくなること。

以上ふたつは、同じようで「全く異なる文化」ということを、みんな気付いていません。

不透明な談合建築は情報社会の発達にともない、一掃されつつあります。

不透明な商売医療はそう長く続かないと、ここ最近の僕は特に感じています。

以下の文章は、心ある人々が常々考えていたことだろうと思います。

薬局看板

非科学的な概念が幅を利かせていた「血圧の基準」
血圧の基準はかつて「年齢+90」だったものが、あるときに「年齢に関係なく160」になり、それが徐々に下げられて、2014年の夏まで130、至適なのは120と異常に低い値になった。そして「血圧は低いほどよい。個人差、年齢差はない」という。完全に非科学的な概念が長い間、血圧という健康の指標でもっとも大切なものに幅をきかせていた。

もともと20歳の健康な人でも、血圧が100ぐらいから140程度まで幅がある。100の人が正常で、140の人が高血圧病ということはなく、それは「個性」だ。背の高さが160センチの人もいれば180センチの人もいるようなもので、全員が同じ背の高さ、同じ血圧でないと「健康ではない」ということではない。

また年齢が高くなると血圧が上がるが、これは「血管壁が硬くなる」からだ。若い頃は、血管の流れは柔軟でもっとも血液を送るのに都合が良いようになっているけれど、年齢を重ねると血管壁が硬くなり、血液の流れがスムースでは無くなる。

いっぽう、血流は命の源だから、心臓は少し無理をして血液を送る。それも無理矢理ではなく、「やや血圧を上げよう。あまりあげると血管が破裂するし、あまり血圧を下げると血が行き渡らないから、このぐらいにしておこう」と考えて、(自動的に調整して)血圧を心臓が決めている。

つまり、心臓はよくよく考え、自分の体をベストな状態に保つために努力している。それは体温でもコレステロールの量でも、痛風の引き金になる尿酸値でも、すべて「体が適正にコントロールしている」のだ。

だから、数式が「年齢+90」で正しいかどうかは不明で、少し補正が必要と思うけれど、年齢によって血圧が上がる方が「良い」のは間違いない。もし人間の体が年齢とともに変化してはいけなければ、年齢とともに筋肉増強剤を使わなければならないし、骨の柔軟剤、内臓強化剤、シワができたら皮膚の移植からなにから必要となる。そんなバカな基準を使っていたのだから、罪は重い。(続く)

『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』より一部抜粋

著者/武田邦彦(中部大学教授)
東京大学卒業後、旭化成に入社。同社にてウラン濃縮研究所長を勤め、芝浦工業大学工学部教授を経て現職に就任。現在、テレビ出演等で活躍。メルマガで、原発や環境問題を中心にテレビでは言えない“真実”を発信中。

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